「わが人生に悔いなし!」~奄美の石原裕次郎、久野末勝オジ~ 

久野末勝さん📍芦徳集落

島から出たくてしょうがなかった。明治生まれの親父は頑固で、子供が8人いるからお袋はいつも走り回ってた。晩御飯で肉食べると、兄貴達に頭を殴られた。競争の世界だったわけよ。だから窮屈で俺は背が伸びなかった。あ、それは遺伝か。とにかく、家が面白くなかったんですよ。

でも経済的には恵まれてた。その時代、周りの友達はみんな裸足だったけど、俺は靴を履いてた。親父は内地からの生活物資を運んで0から成功した人だった。

○憧れた都会のイルミネーション

小学6年の時に、そんな親父と上の兄貴3人で鹿児島に行った。桜島の雄大さ、夜中まで走るチンチン電車…。カルチャーショックだった!島には桜島もレールもない。それに憧れて鹿児島に行きたくなった。とにかく家から、そして島から出たくてしょうがなかったわけよ。でも、勉強したいと言わないと許してもらえないと思って、親に鹿児島で勉強したいって言い続けた。そしたら、明治生まれのあの頑固親父が折れた。鹿児島には親戚がいなかったから、兄貴と姉ちゃんがいる東京に行けって言われた。

 中学2年の時、東京の目黒区で姉ちゃんたちが下宿をしてたからそこに入り込んだ。目黒区立東山中学校に転校して、そこでもカルチャーショック!島では友達のことを下の名前で呼び捨てしてたのに、東京ではみんな人のことを苗字で呼ぶから、恥ずかしくて人のことを呼べなくなっちゃった。都会に馴染むのに大変だったけど、バスケ部の背が高い赤羽くんが優しくしてくれたわけですよ。でかいのとちっちゃいのは仲良くなりやすいんだよね。

○親父からの手紙

 お陰でいじめられたりすることもなく中学卒業して、東京で高校に進学した。高1の1学期が終わる頃、なんとあの頑固親父から人生で初めて手紙が来た。「大学の時はどうせ東京に行くんだから、高校ぐらいは奄美で親と暮らしたらどうか」ってね。これにホロっときちゃった。

 それで島に帰って、大島高校の編入試験を受けて2学期から大高に行った。担任の先生に、柳家金語楼みたいな丸い顔でおもしろい顔してるし、標準語話せるから演劇部に入れと言われた。それで入ったの。

 そんなこんなしてるうちに、高校を卒業した。勉強好きじゃないから、農業をするためにトラックとトラクターを買ってって親父に言った。でも、親父は小学校卒業だから学問に憧れがあって、「大学に行きなさい」って言われた。子供には大学を出てほしいという親心があったんだと思うよ。

○背中を押してくれた「裕次郎」

 でも受験勉強してないから、志望校が決まらんかった。それで、その頃、石原裕次郎の『風速40m』という映画を観て、裕次郎が建築士だったわけ。台風の中、自分の設計図を持って建物が壊れないように観てた姿がかっこよかった!建築士だった義理の兄の姿も重なって、建築士に憧れた。要するに単純なんですよ。それで千葉工大を一つだけ受けて、なんか入っちゃったわけよ。今は一級建築士になれたのも裕次郎のお陰だね。

○波乱万丈の大学時代

 大学に入ったのは良いものの、津田沼駅に『マドモアゼル』って喫茶店があって授業行かずにそこで遊んでた。そしたら、2年の終わりに、バンコクから来てた留学生と仲良くなった。彼らが春休みに国に帰る時に、ぜひバンコクに来てって言われた。嬉しくなっちゃってさ、親父に建築の専門書を買わないと進学できないって嘘ついて、15万もらってそのお金でバンコクに行った。その時は1ドル360円。英語は喋れないし、初めての海外。香港でトランジットがあったんだけど、そんなこと知らないから、間違えて入国審査に入っちゃったわけよ!

 そんなこともありながら、なんとか帰国できた。海外でずっと遊んでいたから、お金がなくなってコカコーラで3ヶ月働いた。そしたら学校が恋しくなっちゃった!久しぶりに喫茶マドモアゼルに行ったら、米山くんっていう友達が来て、「久野!お前なに考えてんだ!」って怒られた。当時お世話になった羽倉先生のところに連れて行かれて、奄美から親父が俺を探しに来たって聞いた。それにグッときた。羽倉先生に「お父さんが心配して来てんのに、何やってんだ!」って怒られたわけよ。それで、反省した。俺の人生反省ばっかり。ちょっと真面目にしようと思って学校に戻った。この3ヶ月間で留年したけど。

○そして、島へ

 卒業後は先生がとある建築会社に推薦してくれて、そこに入れた。そこでは地に足をつけようと思って、コツコツと定年まで頑張った。

 俺が58の時に親父が倒れた。それで可哀想だなーと思ってさ、うちのお袋も亡くなってたから、59で島に帰ってきた。住む場所を探してたらこの場所を見つけて、自分で設計してこの家を建てた。平成18年に完成して、その年に親父が亡くなった。

 

○奄美での毎日

 今は島が、芦徳が、大好きになっちゃった!写真も始めて鹿児島県美術協会の会員にもなった。今はMeet My Amamiていう学生団体に毎日島の写真を送って、「今日の奄美」っていうタイトルでインスタに載せられてる。あれをやってるのは僕なんですよ。

 まぁ、人生できすぎ。健康な体を親にもらって、努力もしないで大学出してもらって、会社入ってからはちょっと頑張ったけど。良い人たちにも囲まれて、だから「わが人生に悔いはなし」!

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